あちこちメモ

フィギュアスケート、恋愛、考えてる事など、恥部的な部分も含めてあちこち散らばってる頭の中をまとめるブログ。

30代の私、大丈夫?って思った話。〜おバカ過ぎた20代〜

とあるきっかけから過去を振り返る事になる。

 

ここ最近、色々あってお金は無いけど時間はある。という状況だった。

そして、生きるモチベーション的なものが全体的に低下していた。

原因は、自分がやろうとしていた長期計画が、全て飛んだ。

 

陸上ならば、スタート地点に立ち、「位置について、よーい」

とコールされた瞬間に「本日の試合は、これにてお開き」

という感じ。まるでドリフのようにズッコケた気分だ。

というより、「こんなこと、コントでしかない」というシュチュエーション。

 

そして今後の事についてぐだぐだ悩み始める。

何故こんなにぐだぐだしてしまうのか、これが全ての原因なんではないか?

とか、前を向けなくなってしまうのはメンタルの問題なのではないか?とか。

今までと同じ間違えを繰り返してないか?とか。

 

しばらく惰性で生活をしていて、

何故こんなにうまくいかないのかを考えた。

 

過去を振り返るということは、今の自分自身を見つめ直すことにつながる?

 

考えるときには、やはり過去のしくじり経験を否が応でも思い出す。

「あの時もそうだ、あの時も、あの時も・・・」

と、自分の悪いところばかり思いつく。

 

こんなとき、よくある自己啓発本では、

「いいところを探しなさい。」

「やり直すには今からでも遅くない。」

「自分自身を愛する事、許すことをしよう。」

 

どれも間違っていない。正しい。素晴らしい。

 

けれど、これまでの人生の失敗は、

なんだったのか。何かのメッセージでは無いのか?

 

嫌なことも沢山思い出した。

 

たどりついた答えはシンプルだった。

 

そして、何故その嫌なことが起きたのか、原因も考えた。

そこでたどり着いた答えは

私があまりにバカだったということ。

 

もちろん、私だけが悪いわけでもない事も沢山あるし、

私が悪かったこともある。

 

何故か、あらゆる人間の根底にあるものを考えた。

 

何故このようなすれ違いが起こったのか。

そこで、私はあらゆる人の人生において大事なことの根底は何か考えた。

 

1)人間の根底は、全ての人が幸せになりたい。

 

生きていく上で、「不幸せな人生を送りたくない。」って、誰もが思うような気がする。

それはイコール「幸せな人生を送りたい。」ということだと思う。

 

誰も不幸になりたくないと思っていながら、何故ぶつかり合うのか。

根底にあるものはみな同じなのに分かり合えないのか?

考えて行くうちに一つの仮定にたどりつく。

 

2)人間の価値観は100人いたら100通りである。

 

当たり前だが、みんな価値観が違うのだ。

多分、そんなことみんながわかっていることなのに、

何故多くの人は「価値観が違うから」と突き放してしまうのだろう。

価値観が違うよね、で突き放せる場面もあるが、突き放せない場面もある。

 

何故みんな幸せになりたいのに、価値観が変わるのか?

みんな、見て聞いて体験してきた事が違うからである。

では、少しでもそのギャップを埋めるために出来ることは何かないのか?

何故そのキャップを埋められないのか?

 

3)自分の持っている世界が狭すぎる。

 

自分だけの物差しで人生のあらゆることを決めつけてしまうことによって

衝突が生まれるのではないか。

そして、私について言えば、私の価値観はちっぽけなものなのではないだろうか?

そのちっぽけな価値観に囚われているからうまくいかないのではないだろうか?

仮にどうしてもわかり会えない場合の処世術ももちろんあるのではないか?

そう考えた時、次はどう考えたかというと、

 

自分自身をプロデュース、マネージメントできていない。

 

私はよく感情的になってしまうことがある。

自分自身に対しても腹がたつ。

 

そして私は、相手の気持ちを色々考え過ぎてしまう。

身動き取れなくなってしまう。

そして、相手の気持ちを考えているつもりが相手を傷つけていたりもする。

 

自分自身も動けなくなるうえに、相手まで傷つけてしまうとは本末転倒。

悪く言えば、相手の顔色を伺いすぎる。

 

何故このようなことが起きるのか。

自分の価値感がグラグラしているから。

 

では何故自分の価値観がグラグラしてしまうのか。

そして、ぐらつきながらも抱えている価値観はなんなのか。

 

ぐらつきながら抱えている価値観は、私の過去の経験から成り立っている。

ぐらつく価値観は、他の価値観がよく見えてしまう。

 

何故そのようなことが起きるのか?

 

私には、知識も、経験も、物事を決める力も足りなかった。

それゆえ、感情が先走ってしまった。

 

では、今の私に必要なものはなんなのか?

 

まずは知識。

知識が増えれば選択肢が増える。

そして物事の見方も変わる。

 

自分の周りにいる人と沢山会話をするというのも

もちろん一つの手なんだけど、

私の周りにいる人は、私のミラーでもあるので、

ここで話をしていては、また同じ繰り返しな気がした。

 

また、今の私から見たらちょっと敬遠してしまう人も

何人かいるので、逆にネガティブに陥りそうな気もした。

もちろん、今の現状の私の場合。

 

知識ってなんだ?と考えた時に、

まずは物事を知り、それを考え、自分の価値観につけていくものなのではないかと。

歴史は繰り返す。何故か?

きっと、一定のなんらかの法則によって、

うまくいくこととうまく行かないことがあるはず。

では、とりあえず、身近なところから勉強してみよう。

 

そのために、物事を決める力も必要になってくる。

あれもこれもやってたら、人生足りない、どうしよう。

 

どうしよう。。。

どうしよう。。。

 

自分自身をプロデュースしてみよう。

と、ここでヒントを得たのが会社経営だ。

 

会社の経営と、私の周りにあるあらゆることは似ているような感じがした。

そこで、手始めに、ドラッカーの本を手に取ってみることにした。

 

そして、経験は、まず、その勉強している事を経験と捉えてみようと思った。

本当はもっと行動するとか、うんぬん、あるんだけど、

まずは勉強。いろんな勉強。勉強は頭を柔らかくする目的でやる。

決して勉強で頭が固くならないようにする。

 

そして、ブログを書く。

これは、自分の頭を整理するための素敵な思考回路組み立てツールだともう。

この文章を書いていて、つくづく感じる。私、全く理論的に喋れていない。

伝えたいことは沢山あるのに、頭の中が散乱している。

これを鍛えるために、まずは未完成な文章でも、はちゃめちゃな文章でも

このブログを成立させる。正直、恥ずかしい、恥部だ、恥部。

 

ここまでで気づいたこと、私、バカだ。

 

私には生きるための指標のようなものが無かった。

 

自分の狭い世界に閉じこもってうだうだしているということは

自分の狭い世界の中に生きる為に役立つ知識は何も無かった。

 

哲学もない、倫理観もない、知識もない。

だから、良く良く考えたら、乗り越えられるわけも無いと思った。

 

頭が良い人を何人か知ってるんだけど、

彼らは私から見たら少し冷たく感じる。

 

なぜなら、自分が得た経験+知識が

きちんとした考えとして刷り込まれて生きているので

凹むって事が少ない。すごくざっくり言っちゃったけど。

 

ということは、常に前を向いて生きていられるので

自分のやりたいことを出来ている、そして成功している。

 

落ち込んだ時にどうすべきかということを

毎日の積み重ねの知識で考え、行動する。

これが経験となる。乗り越えられる。

 

また失敗する。落ち込む。

でも以前の失敗をきちんと消化しているので

それがまた糧となり乗り越えられる。

というプラスのスパイラルゾーンに入っている。

 

逆に言うと、出来ない人の気持ちなんか分かるわけ無い。

でも、相手の気持ちを考えてしまう(悪く言えば顔色伺いすぎる)私からすると

冷たく感じてしまう。

 

でも成功してる人はそういう人たちだ。

 

もう20代みたいにしくじりたくないと思った。

 

その一歩として、勉強をしようと思う。

毎日少しづつになるかもしれない。

でも勉強することは経験になる。

 

その中でいろんなことに気づけて、

自分自身をもっと大事にできて、さらには自分自身をマネージメントできたら

「やり直すのは今からでも遅くない!」が生きてくるのではないか、

 

と、期待している。