あちこちメモ

フィギュアスケート、恋愛、考えてる事など、恥部的な部分も含めてあちこち散らばってる頭の中をまとめるブログ。

【ドラッカー】気に入った名言を書き出してみる。その2。

昨日に続き、ドラッカーの名言。

 

現在、まだざっと読み終わった段階なので

まだまだ理解は浅いが、

「お!」と思ったものをドッグイヤーしてあったので

まずはそれを書いてみる。

 


【ドラッカー】気に入った名言を書き出してみる。その1。 - あちこちメモ

 

 

はっきりしていることは、未来は現在とは違うということだけである。

未来は断絶の向こう側にある。

だが、未来は、それが現在といかに違ったものになるとしても、

現在からしか到達できない。

道への飛躍を大きくしようとするほど、基礎をしっかりさせなければならない。

【エッセンシャル版】マネジメント 基本と原則 P.F.ドラッカー著 上田惇生編訳

1 マネジメントの役割 p11より

 

 

 

これは何かを始めるにあたってとても有益な名言。

最初の方のページに出てくる。

 

何かを始めるのに遅すぎることは無いと思ってる。

 

でも、せっかく「今からでもやってみよう!」

と思っても、周りを見回したり、膨大な量の勉強量が待っていると

「やっぱり無理かも」と挫けるのが私である・・・。

 

この名言は、未来は現在からしか到達できないと言っている。

ある日突然、昨日とは違う自分にはなれない。

過去を悔やんだ現在も、現在に変わりはない。

それを受け入れて、地道にスタートして基礎を固めるしか

未来を変える方法は、現在から始めるしかない。

 

うん。

よし、頑張ろう(笑)。

 

【ドラッカー】気に入った名言を書き出してみる。その1。

ドラッカーを読んで、私は思った。

わからない。何を言っているのか分からない。

でも、何かしらドラッカーで生きるヒントが得られる気がする。

ドラッカーで自分自身をセルフマネジメントできるかもしれない。

(あくまで「かも」しれない。)


ドラッカーの基本と原則を何故か読んでみることにした。 - あちこちメモ

 

なので、現時点で、一通りざっと読んで、(本当にざっとw)

「お?」と思った名言を書き出してみる。

 

書き出そうと思ったけど、時間ないので、とりあえず一つ。

 

基本的なこととして、

成果すなわち仕事からのアウトプットを中心に考えなければならない。

技能や知識など、仕事へのインプットからスタートしてはならない。

それらは道具にすぎない。

いかなる道具を、いつ何のために使うかは、アウトプットによって規定される。

作業の組み立て、管理手段の設計、道具の仕様など、

必要な作業を決めるのは成果である。

 

【エッセンシャル版】マネジメント 基本と原則 P.F.ドラッカー著 上田惇生編訳

第3章 仕事と人間 11 仕事の生産性 p62より

 

 

 

バカな私は思った。

とりあえず、行動しろということではないだろうか。

知識を詰め込んで、技術を磨いてから始めるとなると、

あんたいつ始めるのよ!ってことになりかねない。

口だけの人間になってしまうおそれもあるし、

人生そんなに時間もない。

 

なので、まずは行動しろ。

その行動の過程で必要なものを組み込んで行こうよ、

という話なのではないか。

 

例えば、好きな男の子がいたとする。

ダイエットをして、メイクも勉強して、ファッションも研究して、

彼の好きなサッカーの知識も入れてから、告白する!

というのは、なんかこう、間違ってる。

 

これはドラッカーでいうインプットからスタートしてはならない

ということだと思う。

 

まずは、告白までもいかなくても、

普段から、現時点での自分で話しかけて、

仲良くなる努力をする。

 

ドラッカーでいう、アウトプットを中心に考える。ということになる。

 

ひょっとしたら、「ブス」だの「デブ」だの

ひどい言葉を浴びせられるかもしれない。

だけど、一度傷ついたとしても、

次、その言葉に対してどう対応するか、

では、どうすればその言葉と反対の自分になれるか、

考えて、行動しながら改善していく。

こっちのほうが、成長も見せる事ができながら仲良くなれる。

 

おぉ、まるでクレームによって改善されていく企業のようだ。

「顧客」は好きな彼になるのか。

 

おぉ。なんかドラッカーさん、凄い。

 

私も今まさにアウトプットからスタートしている。

はちゃめちゃな文章力でも、カスみたいな語彙力でも

まさかのドラッカーと立ち向かっている様子をブログにしている。

 

ただ、ここから改善部分を見つけて、それをインプットして

またアウトプットせねば。

 

素敵な人間になるために、少し自分自身をマネジメント、

に近づいた・・・かもしれない。

 

おっぱいとパン作りは似ている。

最近ふと思ったこと。

おっぱいが小さくなった。

胸がなんとなく寂しい。

 

何故だ?

と考えたときに、例の都市伝説が浮かんだ。

 

おっぱいは揉むと大きくなる。

 

バストアップエクササイズなるものもあるが、

これはきっと、筋肉を鍛える、

ってことにより、胸が大きくなるにつながる、

ということだと思う。

 

なので、胸がでかくなるというよりかは、

胸が鍛えられる感覚に近い。

 

胸を揉む、ということは、

なんらかの女性ホルモンやら、リンパやらを刺激して

胸を膨らます事をいっているのではないか?

 

おっぱい、おっぱい。

きっとこないだ書いたスットコドッコイってバンドのせいで

おっぱいが気になり出した。


揉まないで、揉まないで、あの娘のおっぱい揉まないで - あちこちメモ

 

おっぱいが小さくなる原因を調べようと思ったら、

おっぱいはパン作りと似ているということに気がついた。

 

なんかパンを作る過程の発酵に似ている。

揉んで放置しとくとでかくなる。

胸を揉むとは発酵の事か。

 

きっと、

リンパを刺激してなんらかの作用をもたらすベーキングパウダーと

女性的なフェロモンで「あん❤︎」ってなって女性ホルモンを出す強力粉と

それらを全てまとめてくれる愛である卵と優しさである水を混ぜることで

化学反応が起きて発酵、つまり、大きくなるってことなのではないか。

 

これが1次発酵とし、

これを形に分ける行為をバストアップエクササイズとすれば

2次発酵でさらにおっきくなる。

 

最終的にオーブンという名の彼氏に

温めて貰えば、おいしいおっぱいが出来上がりそうだ。

 

パンは早く食べればまた美味しい。

女性的魅力全開、フェロモン全開なのが焼きたてパンと似ている。

そしてまた新しいパンを焼くことができる。

 

放置されると、だんだんしけてくる。

だんだん不味くなる。女性的魅力もまずくなる。

 

新しいパンも焼いてくれない。

そのまま放置されると腐る。

女性的にすたれるを意味する。

 

なんか、おっぱいとパン作りは似ている。

 

オーブンは、大事だ。

誰かおっぱい焼いて欲しい。

 

あ、で、結局おっぱい揉むとでかくなるのかな?

 

 

ドラッカーの基本と原則を何故か読んでみることにした。

いやはや、わからねぇ。

バカな私にはさっぱりわからねぇ。

 

ふとしたきっかけから

エッセンシャル版 マネジメント 基本と原則

P.Fドラッカー 上田惇夫編訳

を読むことにした。

 

 

購入時本にしてはちょっぴり高いなと感じてしまった。

だけど、内容と、この本がエッセンス版であることを考慮すると

高いと思うか安いと思うかは自分次第な気がしてきた。

ちなみに新品で買うと2000円くらい。

 

何故おバカな私がこの本に興味を持ったのか。

答え:バカだから

 

私、本当に頭悪いんだなーこれが。

一流の大学を出たわけでもないし、

企業でバリバリ働いているわけでもない。

私のはてぶを読んでても分かるように、文章力もない。

なんで自分をバカだと思ったかというと、

別に自分自身を卑下しているわけではない。

 

ドラッカーにたどり着くまで

 

主に、多分、この記事が大きく関係してくると思う。


30代の私、大丈夫?って思った話。〜おバカ過ぎた20代〜 - あちこちメモ

 

この文章、本当に支離滅裂で情けないんだけど、

大きな根幹はここ。何故自分自身をバカだと思ったのかも

だいたいここに書いてある。

 

人間が生きていく上で、うまく物事を進める。

ということは、会社経営に似てないかなって思ったのが

始まりだった。

 

利益は、私自身の魅力に還元されるはず。

 

事業をうまくいかせるためには、

マネージメントが必要だ。

 

事業を人生と考える。

恋愛を子会社の事業と考える。

仕事を子会社の事業と考える。

人間関係を子会社の事業と考える。

 

とするなら、これらの事業をうまくいかせるためには、

会社経営と同じなのではないかと考えた。

 

なんでこんなことを考えたのかっていうのが、

おバカな私にぴったりの薄っぺらさなのだが、

もしドラを見た。

 

暇だったから鑑賞したもしドラ

 

 

これが原作の、前田敦子主演映画

 

 

 

これ。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの「マネジメント」読んだら。

 

映画の内容は色々な意見があるだろうけど、

私は考え方が「なるほどなぁ」と思った。

 

組織を動かすということは、会社を経営することと似ている。

 

組織って、個人事業主もある種組織だよね。。。

個人事業主って一人でやってる場合もあるよね。。。

 

じゃあ、私への魅力が利益だと考えて、

私自身を組織、企業と考えれば、

利益を出すためにはどうすればいいのかのヒントがあるのではないか?

 

ということで読み始めた。

 

ドラッカーを読んでの感想。わからない。

とりあえずね、ひととおり読みました。

けれど、理解できなかった。

 

だけど、一つ収穫があるなと感じたことが、

淡々と会社経営はどうするかということではない、

もっと突っ込んだ事を言っているっぽい。

 

そして、どうやら世に沢山出ている

自己啓発本に通じるものもある。

 

というわけで、今月はドラッカー強化月間として

読み進めようと思う。

 

はてぶの今週のお題とかいうのをやってみた。

今週のお題「10年」

 

10年。ざっくりですね。10年。

私はここ10年、楽しかった、充実した!ということよりも、

悲しかった、辛かった、と思う事の方が多くて

あまり良い思い出は無い(笑)。

 

もちろん全て自分の責任なんだけど、

いろんなプチ挫折を経験して、

この先はもう楽しいことばかりあると思って生きている。

 

これから10年生きるため、自分に一番大切な事はなんだろうと考えたときに、

「メンタルの安定」なんではないかと思った。

 

私はメンタル本当に弱い。

何かあったらトイレットペーパーのように自分自身が消えて

弱い気持ちに流されてしまう。

 

そういうときに何が必要か。

多くの大人は言う。

 

「結婚したり、結婚しなくても信頼のおけるパートナーが必要だ。」

 

いやはやしかし、私はここ10年、

信頼したいと思うパートナーから裏切られたと思った事が多かったし、

それによって自分自身が揺さぶられすぎたと思うので、

今は、自分自身のことをしっかりやることを最優先して、

恋愛はちょっとおいておくことにした。

 

10年、うーむ。10年あればきっと色々出来ると思う。

自活して、やりたいことやって、自分の人生自分で責任を持てて、

自分のことが好きやで、と恋できるくらい魅力的だと思える人間でいたい。

 

そのためにはメンタルが大事だと思う。

 

メンタルが安定すると、いろんな世界が広がる気がする。

そしてやる気もアップ!

 

やる気が出るということは行動力がアップ!

素晴らしい!

 

なので、ここ10年は、メンタルの安定がうまくできなかったけど、

この先10年は、メンタルの安定をうまくコントロールできるようにしたい。

 

 

30代の私、大丈夫?って思った話。〜おバカ過ぎた20代〜

とあるきっかけから過去を振り返る事になる。

 

ここ最近、色々あってお金は無いけど時間はある。という状況だった。

そして、生きるモチベーション的なものが全体的に低下していた。

原因は、自分がやろうとしていた長期計画が、全て飛んだ。

 

陸上ならば、スタート地点に立ち、「位置について、よーい」

とコールされた瞬間に「本日の試合は、これにてお開き」

という感じ。まるでドリフのようにズッコケた気分だ。

というより、「こんなこと、コントでしかない」というシュチュエーション。

 

そして今後の事についてぐだぐだ悩み始める。

何故こんなにぐだぐだしてしまうのか、これが全ての原因なんではないか?

とか、前を向けなくなってしまうのはメンタルの問題なのではないか?とか。

今までと同じ間違えを繰り返してないか?とか。

 

しばらく惰性で生活をしていて、

何故こんなにうまくいかないのかを考えた。

 

過去を振り返るということは、今の自分自身を見つめ直すことにつながる?

 

考えるときには、やはり過去のしくじり経験を否が応でも思い出す。

「あの時もそうだ、あの時も、あの時も・・・」

と、自分の悪いところばかり思いつく。

 

こんなとき、よくある自己啓発本では、

「いいところを探しなさい。」

「やり直すには今からでも遅くない。」

「自分自身を愛する事、許すことをしよう。」

 

どれも間違っていない。正しい。素晴らしい。

 

けれど、これまでの人生の失敗は、

なんだったのか。何かのメッセージでは無いのか?

 

嫌なことも沢山思い出した。

 

たどりついた答えはシンプルだった。

 

そして、何故その嫌なことが起きたのか、原因も考えた。

そこでたどり着いた答えは

私があまりにバカだったということ。

 

もちろん、私だけが悪いわけでもない事も沢山あるし、

私が悪かったこともある。

 

何故か、あらゆる人間の根底にあるものを考えた。

 

何故このようなすれ違いが起こったのか。

そこで、私はあらゆる人の人生において大事なことの根底は何か考えた。

 

1)人間の根底は、全ての人が幸せになりたい。

 

生きていく上で、「不幸せな人生を送りたくない。」って、誰もが思うような気がする。

それはイコール「幸せな人生を送りたい。」ということだと思う。

 

誰も不幸になりたくないと思っていながら、何故ぶつかり合うのか。

根底にあるものはみな同じなのに分かり合えないのか?

考えて行くうちに一つの仮定にたどりつく。

 

2)人間の価値観は100人いたら100通りである。

 

当たり前だが、みんな価値観が違うのだ。

多分、そんなことみんながわかっていることなのに、

何故多くの人は「価値観が違うから」と突き放してしまうのだろう。

価値観が違うよね、で突き放せる場面もあるが、突き放せない場面もある。

 

何故みんな幸せになりたいのに、価値観が変わるのか?

みんな、見て聞いて体験してきた事が違うからである。

では、少しでもそのギャップを埋めるために出来ることは何かないのか?

何故そのキャップを埋められないのか?

 

3)自分の持っている世界が狭すぎる。

 

自分だけの物差しで人生のあらゆることを決めつけてしまうことによって

衝突が生まれるのではないか。

そして、私について言えば、私の価値観はちっぽけなものなのではないだろうか?

そのちっぽけな価値観に囚われているからうまくいかないのではないだろうか?

仮にどうしてもわかり会えない場合の処世術ももちろんあるのではないか?

そう考えた時、次はどう考えたかというと、

 

自分自身をプロデュース、マネージメントできていない。

 

私はよく感情的になってしまうことがある。

自分自身に対しても腹がたつ。

 

そして私は、相手の気持ちを色々考え過ぎてしまう。

身動き取れなくなってしまう。

そして、相手の気持ちを考えているつもりが相手を傷つけていたりもする。

 

自分自身も動けなくなるうえに、相手まで傷つけてしまうとは本末転倒。

悪く言えば、相手の顔色を伺いすぎる。

 

何故このようなことが起きるのか。

自分の価値感がグラグラしているから。

 

では何故自分の価値観がグラグラしてしまうのか。

そして、ぐらつきながらも抱えている価値観はなんなのか。

 

ぐらつきながら抱えている価値観は、私の過去の経験から成り立っている。

ぐらつく価値観は、他の価値観がよく見えてしまう。

 

何故そのようなことが起きるのか?

 

私には、知識も、経験も、物事を決める力も足りなかった。

それゆえ、感情が先走ってしまった。

 

では、今の私に必要なものはなんなのか?

 

まずは知識。

知識が増えれば選択肢が増える。

そして物事の見方も変わる。

 

自分の周りにいる人と沢山会話をするというのも

もちろん一つの手なんだけど、

私の周りにいる人は、私のミラーでもあるので、

ここで話をしていては、また同じ繰り返しな気がした。

 

また、今の私から見たらちょっと敬遠してしまう人も

何人かいるので、逆にネガティブに陥りそうな気もした。

もちろん、今の現状の私の場合。

 

知識ってなんだ?と考えた時に、

まずは物事を知り、それを考え、自分の価値観につけていくものなのではないかと。

歴史は繰り返す。何故か?

きっと、一定のなんらかの法則によって、

うまくいくこととうまく行かないことがあるはず。

では、とりあえず、身近なところから勉強してみよう。

 

そのために、物事を決める力も必要になってくる。

あれもこれもやってたら、人生足りない、どうしよう。

 

どうしよう。。。

どうしよう。。。

 

自分自身をプロデュースしてみよう。

と、ここでヒントを得たのが会社経営だ。

 

会社の経営と、私の周りにあるあらゆることは似ているような感じがした。

そこで、手始めに、ドラッカーの本を手に取ってみることにした。

 

そして、経験は、まず、その勉強している事を経験と捉えてみようと思った。

本当はもっと行動するとか、うんぬん、あるんだけど、

まずは勉強。いろんな勉強。勉強は頭を柔らかくする目的でやる。

決して勉強で頭が固くならないようにする。

 

そして、ブログを書く。

これは、自分の頭を整理するための素敵な思考回路組み立てツールだともう。

この文章を書いていて、つくづく感じる。私、全く理論的に喋れていない。

伝えたいことは沢山あるのに、頭の中が散乱している。

これを鍛えるために、まずは未完成な文章でも、はちゃめちゃな文章でも

このブログを成立させる。正直、恥ずかしい、恥部だ、恥部。

 

ここまでで気づいたこと、私、バカだ。

 

私には生きるための指標のようなものが無かった。

 

自分の狭い世界に閉じこもってうだうだしているということは

自分の狭い世界の中に生きる為に役立つ知識は何も無かった。

 

哲学もない、倫理観もない、知識もない。

だから、良く良く考えたら、乗り越えられるわけも無いと思った。

 

頭が良い人を何人か知ってるんだけど、

彼らは私から見たら少し冷たく感じる。

 

なぜなら、自分が得た経験+知識が

きちんとした考えとして刷り込まれて生きているので

凹むって事が少ない。すごくざっくり言っちゃったけど。

 

ということは、常に前を向いて生きていられるので

自分のやりたいことを出来ている、そして成功している。

 

落ち込んだ時にどうすべきかということを

毎日の積み重ねの知識で考え、行動する。

これが経験となる。乗り越えられる。

 

また失敗する。落ち込む。

でも以前の失敗をきちんと消化しているので

それがまた糧となり乗り越えられる。

というプラスのスパイラルゾーンに入っている。

 

逆に言うと、出来ない人の気持ちなんか分かるわけ無い。

でも、相手の気持ちを考えてしまう(悪く言えば顔色伺いすぎる)私からすると

冷たく感じてしまう。

 

でも成功してる人はそういう人たちだ。

 

もう20代みたいにしくじりたくないと思った。

 

その一歩として、勉強をしようと思う。

毎日少しづつになるかもしれない。

でも勉強することは経験になる。

 

その中でいろんなことに気づけて、

自分自身をもっと大事にできて、さらには自分自身をマネージメントできたら

「やり直すのは今からでも遅くない!」が生きてくるのではないか、

 

と、期待している。

 

 

揉まないで、揉まないで、あの娘のおっぱい揉まないで

本日、車を運転しながらラジオを聞いていたら、

衝撃的なフレーズのパンクロックが流れてきた。

 

私はもっぱらインターFMしか聞かない。

ということは、流れてくる曲というのは

洋楽が多いのだが、突然、

 

「揉まないで〜揉まないで〜あの娘のおっぱい揉まないで〜♫」

 

私は、思わずブレーキとアクセルを間違えそうになるくらい動揺した。

頭の中は「?!?gmks後sgこ;じ;glsl?!」という感じである。

 

バンド名は「Su凸ko D凹koi(スットコドッコイ)」と言うらしい。

 

曲名はずばり「MOMANAIDE」。

 


MOMANAIDE すっとこどっこい - YouTube

 

衝撃だった・・・。

 

少し調べたら、このバンド音大卒。

音大なのにパンクバンド。

 

でもこのバンドの実績が凄い。

手売りでCD600枚売ってるらしい。

 

賞レースでもちらほら実績を残しているバンド。

 

ちょっと「つしまみれ」というバンドに通じたものもある。

こういうバンド、良いねぇ(笑)。

百聞は一見に如かず、聴いてみる事をオススメします。

 

今後もスットコドッコイ、ちょっと色々聴いてみようと思った。

同窓会に想う。過去を振り切る生き方をしてみようかと。

同窓会。甘酸っぱい響き。なんでしょうか?

 

久々に会ったらあの人がかっこよくなってた!

あの子美人になったなぁ。

 

あ、俺?今ね、営業で外回りで。毎日もう嫌んなっちゃうよ。

あ、俺?外資系企業に就職して休みなんてほとんどないよ(けど同窓会には来ちゃう)。

あ、私?年末に結婚して、そしたら妊娠がわかって今年生まれるの。

あ、私?まだまだ独身貴族。収入はそこそこだけど、自由だわー。

 

やだ、私が振ったあの彼、転職して稼いでるみたい。あんな良い時計してなかったもん。

うわー、俺の元カノ、太っちゃってまだ売れ残りか。別れて正解だったかも。

 

きゃーみんな懐かしい!

あ、そうそう、あなた、修学旅行でさー、一人はぐれちゃってぇ〜、

あははー、そうそう。

 

っていうあの雰囲気というか。なんというか。

まぁ、大勢集まれば近況を話し合うのは当然で、

昔話になるのも当然なんだけど。

 

こんな事考えちゃう私が相当ひねくれてるんだろうけど、

 

同窓会、まぁどうでも良くなってきた。

 

いやまぁ、楽しいときもありますよ。

親しかった友人であればね。

 

よくよく自分の人生を振り返ってみると、

私、友達という友達があまりいない。

だから高収入の彼がいた時には、友達を大切にして欲しいとか思ったりしたけど

当の彼氏は、友達って必要なのか分からないと言われてしまった。

頭が良くて、収入がある人はそんな感じなんだろうと

今思えば価値観の違いなんだろうけど。

友達がいないから同窓会とかどうでも良いのかというとそういう訳でもないんだけど。

 

友達ってなんなんだ。

 

友達、まぁ、欲しいよね。

でも作るものでもないし、私が仲良くしたいと思っても

相手もそう思ってるか分からないし、

ちょっとした言葉のあやで相手を傷つけてしまうことも簡単だし、

自分も簡単に傷ついてしまう。

 

一つの友達の形として、自然となんとなく繋がってる人が、

実はとても大切な友達なんではないだろうかと思う。

 

相手の事を深く知らなくても、時間の長さはとても大切になってくる。

 

しかし、このなんとなく繋がってる友達に対しても、

本当になんとなくで実際にそこまで大切なんだろうかと

考えてみる事も必要かもしれない。

 

ちょっと振り返る。

未来のために。

私たちは過去に生きてる訳ではないんだから。

その人を嫌いになったとかいうのではなくて、

これからを生きるために少し保留しておく。

 

大切な人たちだよ、と心で思いながら

自分の道を進む。私はそう考えるようになった。

 

未来に進むのに、少し息が詰まるような関係なら
会わなくても良いのではないか?

 

なんとなく付き合ってきちゃった人たちと、なんとなく繋がっている。

そしてその価値観の中で「そうだよね、私もきちんとしなきゃね」

って思って未来を狭めてしまったりしてないだろうか。

 

そういう関係を否定するわけでもない。

もちろん、自分自身が大切にしたいと思えば、その気持ちを尊重してあげることが

自分自身を大切に扱うことだとも思う。

 

でもそれらは果たして、自分の未来に持って来てまで守らなきゃいけないものなのか。

 

無理・・・してないだろうか?

 

ふとそう思ったのでこういう記事になってるんだけど・・・。

 

きっと自分の道を生きていて、

重要な人物であればきっとまた会える。

次に会った時に昔の知り合いが困ってたら助けてあげらるような人間になれてる。

 

そうやって繋がっていけば、無理に周りに合わせる過去の人間関係は

必要なのかなって思った。

 

かくいう私も、学生時代に仲良くなった人と繋がっていないわけでもない。

たまにしか会わないけど、応援したいなぁと思うし、

私もふとしたときに力になれるようなパワーを持った人間でありたいと思う。

時にはそのために、過去を振り返らず、各々の道へ進むことも大切なのかなと。

 

で、同窓会の話です。

 

30になってよくよく考えてみた。

そういう繋がりがある人たちとは、同窓会に行かなくても会える。

 

友達いないけど、繋がってる人は何人かいる。

そう、何人か。ほとんどが親しくない。

 

何を話せばいいのだろう。

冒頭の何気ない会話を2時間も続けられるのだろうか。

顔は笑ってても、きっと気持ちは笑ってない。

 

もちろん、そこからリスタートの新しい一面が見れて仲良くなれるのかもしれない。

でもまた、周りの空気を読んで、合わせて、

自分にとってちょっと苦痛な空間になりそうなのであれば

行かなくても良いのかなと思った。

 

あー、過去あんな事あってちょっと気まずいとかもそう。

未来に向けて歩いて行くために、時に振り切らないといけないこともあるのかなと。

 

だから、私はこの前同窓会に行きませんでした(笑)。

 

 

 

ソチ五輪での浅田真央選手の演技が全て吹っ飛ばした点数に固執する無意味さ

ここでも書いたことだけど、

 

ソチ五輪での浅田真央選手の演技が、

私のフィギュアスケートの観戦の仕方を変えた。

 

点数は、大事。

それによってメダルも貰えるか貰えないかが決まるし、

メダルが貰える事で国の支援も変わってくる。

 

本当に大事。

 

だけどフィギュアスケートのように採点競技になると

たまにこの採点はおかしくないか?と思うこともしばしば。

 

私もそんな一人だった。

 

だけどこれを吹っ飛ばしてくれたのは浅田真央選手。

 

浅田真央選手は本来、もっと勝てる選手だと思う。

 

トリプルアクセルを飛ばなければ、勝てたと思う。

でも、この大技を飛ばないと自分じゃないと果敢に挑戦した。

 

そんな中、メディアは冷たかったし、採点も本人が思うほど伸びなかった。

 

そしてソチ五輪

 

ショートプラグラム。日本中の誰もがびっくりした。

いやはや本当にびっくりした。

 

いままでトップ3を守り抜いてきた主力選手が

ここまで順位を簡単に落とすものなのかと思った。

 

翌日。

 

浅田真央選手は演技構成は変えなかった。

女子最難易度のプログラムで挑んできた。

 

そしてあの演技。

正直今これを書きながら思い出して目頭熱くなった(笑)。

 

もちろん生放送で見ていたわけだが、

浅田選手のフリープログラムが衝撃的すぎて

そのあとの選手の演技は放心状態だった。

 

それまでは、ネットで採点表を見ながら楽しんでいたけど、

この瞬間、その行為を辞めた。

 

あー、そうだよ。

 

私はこういう事があるからフィギュアスケートが好きなんだよ。

 

トリノ五輪スルツカヤ選手のエキシビジョンを鮮明に覚えている。

相当悔しかったと思う。あと足りないのはオリンピックの金メダル。

最後の五輪。金メダルを逃し、泣いていたのを覚えている。

 

しかし翌日のエキシビジョンはとても輝いていた。

キュートで弾けるような演技をとてもよく覚えている。

 

この先も理不尽な採点はあるだろう。

だけど、そればかりに注目されてしまって、

本来の選手達の頑張りの評価がないがしろにされてしまうのは

なんだか悲しいなぁと思う。

 

なので、最近は、技術点のみフォーカスを当てて観戦を楽しんでいる。

 

 

永遠の謎。演技構成点。

演技構成点。いわゆるPCS(プリグラムコンポーネンツスコア)のこと。

採点の話については、ここでも言っているけど、私は最近あまり気にしていない。

 

ただ、技術点については、ある程度知っていると、

スポーツとしてのフィギュアスケートが楽しくなる。

 

ここ最近思うのは、

 

フィギュアスケートは頭脳戦だなぁと感じること。

 

大きな得点源であるジャンプは重要だ。

 

突飛つして技術のある選手は別として、

その他の選手は飛べるジャンプの種類はそんなに変わらない。

 

となると、その組み合わせで頭を使って競技をしなければならない。

ジャンプのミスにより構成も変えなきゃならない。

 

コンビネーションにならなかったジャンプをここでコンビネーションにして・・・

でも2回転にすると次のジャンプで飛びすぎになっちゃうし・・・

次のジャンプはあのジャンプだからあのジャンプは飛べないから・・・

でもここで飛ばないと点数が無くなるし・・・

 

あー!

 

ってくらい多分頭使って滑ってると思う。

もちろん、全てパーフェクトな演技なら話は別だけど

いつもパーフェクトに滑れる訳ではない。

 

なので、技術点についてはちょこっと知っておくだけで

頭脳戦としてのフィギュアスケートを楽しめるのでおすすめ。

 

個人的に、日本人選手で頭がいいなぁと思うのは

鈴木明子選手、羽生結弦選手とかは、非常に頭良いなぁと感じる。

 

そこで謎なのが演技構成点

 

採点の是非については、旧採点時代から言われていることだけど

昔から一番謎なのはこの演技構成点ではないか。

 

素人目に分かりやすい技術点に比べて

演技構成点については本当にどうやって採点されているのか

個人的には謎だ。

 

ここが疑惑の採点なんじゃないかと言われてしまう原因だと思う。

 

演技構成点とは、

 

  1. 要素のつなぎ
  2. 演技力
  3. 振り付け
  4. 曲の解釈
  5. タイミング

 

から成り立っている。

うむ。どれも主観が入ってしまいそうなものばかりである。

 

強いて目に見える技術的な要素の演技構成点を考えると

 

綺麗に図形が描けていること、っていうのもさりげなく見られているように思える。

 

スケートはもともと図形を描く競技だった。

コンパルソリーという言葉を聞いたことあるかもしれないが、

昔はこのコンパルソリーはかなり重要な要素を占めていた。

これが全く継承されていないわけではないと思う。

 

次に、氷をあまりガツガツ削らず、滑らかなスケーティングをしているかどうか。

エッジを深く倒して滑れているかどうか。

そして、技と技の間に難しい要素を入れているかどうか。

 

素人が考え付く採点の目安ってこんな感じなのだが

はてー。全くわからない。

 

ただ、演技構成点が出やすい選手はいると思う。

ここ最近では羽生結弦選手、デニステン選手なような気がする。

 

そしてこの演技構成点、突然上がったり下がったりもする。

本当に謎である。

ワンシーズンでここまで上がったり下がったりするものなのかと思うときもある。

 

ミスしても演技構成点が下がらない選手と下がる選手の違いはなんなのか。

そしてノーミスでも演技構成点が上がらない選手と上がる選手の違いはなんなのか。

 

本当によく分からない。

 

で、私の結論としては

 

こんな事を考えてると、おかしくない?おかしくない?

って思っちゃって、フィギュアスケートが楽しくなくなるから

辞めよー!って思った。

 

そして、いい演技をした選手には素直に讃える。

 

なんで?!ってくらい高い点数も出たりするけど、

本人には悲はないわけで、

「ちょっと点数出すぎだよな・・・」って思っても

多分それは選手自身が一番よくわかってることなので

ぐっとこらえようと思った。

 

楽しく観戦しましょ。

 

記事にするということは、頭の中で考えている事をまとめないと書けない。

そもそも記事、とブログ、ってちょっと意味が違うと思うけど、

 

ブログは完成させるのは簡単に思える。

 

日常の自分自身の出来事、

すでに結果が見えていることに対しては

文章にすることは簡単だ。

 

例えば

 

今日は友達とショッピング〜♫

赤いパンプスを探していたんだけど

なかなか良いのが見つからなくて。。。

でも、見つけちゃいました!

じゃーん★

(写真)

ちょっと予算オーバーだけど一目惚れ♫

こないだ買ったワンピースにぴったり!

 

みたいな記事は、その日の出来事と、その場で「思ったこと」を書いている

だけなので、書くのはそんなに難しくない。

よくわからないけど、これってブログな気がする。

 

考えが加わるとそれは記事なのではないか。

 

記事というのは、もちろん素人レベルでの話だが

同じシュチュエーションでも考え方を加えて書くと記事になる気がする。

 

例えば

 

今日は友達とショッピング行ってきた〜♫

シンプルな赤いパンプスを探してたんだけどなかなか見つからない><

一番オーソドックスな靴なのになんでだろう。

厚底のヒールや、布製のパンプスは沢山あるのにどうしてだろう。

いつも思うんだけど、お店は商売もあるから、流行のものを取り入れたがる。

でも、それだけじゃないと思うんだよね。

シンプルで多少高くてもオーソドックスな靴を探してるユーザーもいるんだから

靴屋さんならある程度抑えていても良いんじゃないかって思う。

なんでほとんどのお店が右へ習えで同じような流行の個性的なものばかりなんだろう。

結局、老舗っぽい靴屋さんでお気に入りの靴を見つけられたから良かったんだけど。

でもやっぱり老舗の靴屋さんだけあって予算が。。。

結果オーライだからまぁいっか!(笑)

 

 

内容ははちゃめちゃかもしれないが許してほしい(笑)。

悪い例文だけど、なんとなく私の意図を読み取ってくれれば・・・。

こっちの文章は、前者の文章と同じ出来事だけど、

書き手の考えや意見が入っている。

 

これは記事なのではないかなぁと思う。

もちろん素人レベルでの話である。

 

考えをまとめるって難しい。

 

この、考えを纏めるって行為がなかなか難しい。

文章を打っているとだんだん自分が何を書きたいのかわからなくなってくる。

 

記事書くってすげぇ難しいじゃないか・・・。

と思って毎回挫折してしまう。

 

でもまとめるってことはきっと、会話にも繋がってきて

自分の書きたいこと=自分の伝えたいこと

なので、記事を書くというのは自分自身の為にも良いのではないかと思う。

 

さて、どうやってモチベーションを保てば良いのかは模索中だけど

文章の口調もきっと記事ごとに変わってくるかと思うけど

 

未完成でも完成させる

 

っていうところを目標に続けていければなんて思ってる今日この頃。

ブログ管理人あっちょんのフィギュア知識

私は決してフィギュアスケートに超詳しい訳ではない。

 

この先フィギュアスケートの記事を多く書きそうな予感がしたので

最初に私のフィギュアの知識について。

最初に断っておくが、決してフィギュアスケートに詳しいわけではない。

 

ぼんやりとしたフィギュアスケートの記憶

 

ヤングデン、プルシェンコ時代は生で見てないし、

ケーリガンは居たなぁという記憶しかない。

 

伊藤みどりはヒーローだったのを覚えてる。

伊藤みどり物語」っていうドラマまであった。

でもその程度の記憶しか残ってない。

 

元々女子のフィギュアスケーターが好きだったので、

村主、恩田、荒川世代は気になったのでチェックしていたが、

今ほど情報ツールが盛んではなかったし、

放映がゴールデンなんて事もなかったので

かなりにわかファン。

 

いつのまにか、フィギュアスケートブームがやってきた。

 

安藤選手が4回転を飛び、ミキティブームとなり、

その後浅田選手がトリプルアクセルを飛び、

荒川選手がトリノで金メダルを取った。

このあたりからフィギュアスケートブームが来たと感じる。

 

正確に言えば、きっと、村主、恩田、荒川選手達が礎を築いてきた事も大きい。

恩田選手がトリプルアクセルを飛んでいた事も記憶している。

 

そして女子が注目されると同時に高橋、織田選手が頭角を現してきた。

もちろん男子の礎に本田選手がいたことも忘れちゃいけない。

 

採点とかよりも演技を楽しむ派

 

好きだけど、正直採点法などについてはかなり疎い。

さすがにバンクーバーのキムヨナ選手の点数については

「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?!??」っていう感覚はあった程度。

(いやはやあの点数は当時びっくりたまげましたわ)

 

実は一時期、点数とかも軽く勉強した時期もあったが、

ある時期からそういうのもういいや、って思えるようになった。

 

旧採点時代から、採点競技なので色々言われてきたし、

そういう事を気にしてたらだんだんフィギュアスケートが楽しくなくなってしまう。

 

ではある時期とはいつなのか。

 

それはソチオリンピック浅田真央選手の演技を見てから。

 

「あー、もう採点とかいいっす」って思った瞬間だった。

上位選手のソチの点数も正直思った。高いなぁと。

でもなんかもうどうでも良くなった。

 

そうだよね、バンクーバーの時にも、

感動的だけど点数低かった選手もいたし、

グランプリシリーズでの中野選手の演技は感動的だったけど

点数は出なかった。

 

でも、点数が低いからダメ、点数が高いから良いというのは、

その時の感動までも否定してしまうし、

高くても、うーん?っていう演技はやっぱり好きでは無いし

純粋に楽しみたいので、あまりそこは追求しない事にした。

 

ある程度のルールだけ頭に入れて、

戦略の部分で採点を楽しむという感じ。

 

逆にそこが採点競技の醍醐味なんではないかなとも思ったりする。

 

ペア、アイスダンスは無知

 

最近だ。ちょこっと興味を持ち始めたのは。

それまでは、この分野はスルーしていたので、

ほぼ知識は無いです。

 

こんな感じの知識で・・・。

 

フィギュアスケートに関しては書いていこうと思うので

よろしくです。